自己紹介

小さな頃から、お友だちと公園で遊ぶより、とにかく家の中で”何かを作ること”が大好き。IMG_1999

一般的によく言われる虚弱体質で、良く熱を出し、近くの病院にはいつも祖父の背中におんぶをされて受診していました。
もともと小児喘息もあり、その治療には大学病院へ・・・

でも、”家にいること=何か作れる”なので、外に出れないことは全く苦痛ではありませんでした。

折り紙・ビーズ・編み物・フェルト・・・

今思えば折り紙が始まりだったのかもしれません。
知り合いの外国人の方が帰国するときに依頼されて、段ボールいっぱいの作品をお土産にしてくださったほどです。
(当時アメリカでは折り紙はほとんど知られていなかったそうです。)

また、通っていた病院にも、いつも私の折り紙作品が飾られていました。
祖父に編んだセーターを、その病院の先生からオーダーいただいたのは、小学3年生ぐらいでしたでしょうか・・・。
(もちろん、セーターなんてまだ一人で全部は編めずに、母も手伝ってくれたのですが。)

だから、小さい頃は
”私、お洋服作る人になりたい”
そう思っていました。ずっとずっと・・・

それを変えたのは、いつもおんぶしてくれた祖父が亡くなった時。

大切なおじいちゃんが亡くなった・・・

その病院は、私がずっと喘息の治療をしていた病院。
・・・祖父と一緒に行っては、帰りにレストランでチョコレートパフェを食べ、院内で本を買ってもらって、大きな池で遊んで・・・と、特別に楽しい思い出がいっぱいの病院。
祖父の死をきっかけに、”絶対この病院の看護師さんになる”と決めたのです。
時は過ぎ、看護学校時代。
「虚弱だから、あなたには三交代は無理だわ」
「保健師をとって日勤だけにしたら」

そんなふうにも言われましたが、私は何が何でもあの思い出の病院で働きたい!!の一心。
さらに”どうしても救急救命センターで働きたい”と思い、卒業とともに、就職したのが・・・
”あの病院の、あの救急救命センター”
泣きたいこと・辛かったこともたくさんありました。
人の死にも、その家族の涙もたくさん目の前で見てきました。
葛藤や自分自身を見失うこともあったんです。

そうした中での、ストレス発散方法は、洋服作り。
徹夜をしながら制作したことも多々ありました。
その後、結婚し退職。
他の病院で日勤と準夜勤をしながら、ようやく洋裁教室に通うことが出来たんです。

その病院も、妊娠し、つわりがひどくて退職。
下を向くこともつらくて、洋裁ができなくなりました。
出産後、「やっぱりあの病院で働きたい!」と再度パートで勤務。子育てとの両立です。

娘とおそろいの服を着たい!
手づくりしたい!!
と再度洋裁教室へ。

おそろいの服を着て出かける・・・楽しみの1つとなりました。

今ではもう着れない娘の服。
今度は娘が「自分の子が女の子だったら一緒に着たい!」と言ってくれています。
そして、その後出会ったのがスワロフスキーのビーズ。
1つ1つが輝いていて、光を放っていて、とてもとても素敵でした。

これでアクセサリーを作りたい!!と、作り始めたら、楽しくて楽しくて!!
見ているだけで可愛いスワロフスキーのモチーフも作りました。

この魅力に導かれ、認定資格を取得。
そして・・・

バッグ好きだった私がたまたま出会ったワイヤーバッグ。

こんなにかわいいバッグを自分の手で作りたい!!

そう思い、こちらも認定資格を取得。
あるタイミングで、こんまり流片づけに出会いました。
その結果、

私は手作りが大好きだった。

小さい頃”ブティックしたい”ということを思い出し、
手作りの楽しさを一人でも多くの方に知って頂きながら、
20年という看護師歴も活かしたサロンを始めようと思いました。

手作り教室はつくるのが楽しくて当たり前のようですが、
気分が滅入ってきたな、ちょっと気晴らししたいナという方に「元気をもらった!」と言われるサロンをつくりたい。

看護師だったから出来る事。
悩みや心のつらさは、誰かに話すことによって気持ちがラクになる。
わかってもらえたという安心感。
でも、誰にでも話せることではないこと。

そんな時に私の経験を活かすことでお客様の気持ちを軽くしてさしあげられるのではないかと思うのです。

心穏やかになる時間を提供できたら、そして気持ちが明るく前向きになれることを願っています。
【資格】

・看護師
・楽習フォーラム ビーズアート認定
・楽習フォーラム ビーズアートステッチ認定
・楽習フォーラム ビーズステッチ教授